不思議な肩甲骨(2)

  「長懸垂」と「短懸垂」。 あまり聞きなれない言葉だと思います。 鉄棒にぶら下がったときの肩の状態で、一般の人は「短懸垂」になります。 完全に「長懸垂」になるにはある程度トレーニングが必要ですが、実は長懸垂の方が肩甲骨のまわりの筋肉が全て弛緩しきった自然な状態になります。

長懸垂  短懸垂
長懸垂                     短懸垂

  昭和50年代、ぶら下がり健康器なるものが大ブームになったのを覚えておられる方も多いかと思います。 日本体育大学 塩谷教授が「ぶら下がり健康法」を提唱され、これを基に健康器具メーカーが火を付けたものです。 効果としては、以下を謳っています。

  元々の「ぶら下がり健康法」というのがどういうものかは知りませんが、よくもまぁ、これだけ無茶苦茶言えますよねぇ。 またブームになったということは、これを信じた人が大勢いたということになりますが、これも驚きです。

  一般の人は日常生活の中でぶら下がるという動作をする機会はあまりないと思います。 せいぜい電車の中で吊り革につかまる程度でしょうか。 ましてぶら下がった状態で’休む’などということは、動物のナマケモノでもあるまいし、まず無い筈です。
  ぶら下がるときには腕を上に上げないといけません。 このとき肩甲骨はどういう動きをしているか見てみましょう。

  肩甲骨は6つの筋肉で固定されていますので、これらの筋肉の力のバランスで自由に位置や方向を変えることができます。 そして、腕を上げるときには肩甲骨は左図の右肩のようにグルンと回転します。 この肩甲骨の動きを「上方回旋」と言います。 このような肩甲骨の動きがあるおかげで、腕は脚と違ってかなり自由に広範囲に動かせるのです。 これを専門用語で「肩甲上腕リズム」と言います。
  左図のような肩甲骨の状態のままぶら下がると「短懸垂」になります。 短懸垂の状態で自分の体重を支えよう(ぶら下げよう)とすると、肩のまわりの筋肉に相当負担を強います。 肩甲骨を支える6つの筋肉全てに緊張が働きますが、中でも僧帽筋が最も強く緊張するという研究報告があります。 さらに、周りの大胸筋と広背筋もかなり強く働きます。
  短懸垂は非常に不自然な形ですので、この状態で長時間頑張ると肩関節を痛めます。 肩の周りの筋肉は緊張状態にありますので、肩こりが解消されるなどということはありません。 また、僧帽筋や大胸筋、広背筋といった体幹につながる大きな筋肉が緊張しますので、それらがつながっている背骨や骨盤も歪められます。

  ぶら下がりは非日常的な動作ですので、一般の人はどうしても力が入って短懸垂になります。 これに対して、肩の周りの筋肉が完全に脱力した状態でぶら下がりができている状態が「長懸垂」です。 このときの肩甲骨は、左図のように「上方回旋」に、肩甲骨全体が上の方にスライドする「挙上」という動きが加わります。
  この状態でぶら下がっているときは、肩の周りの筋肉はどれも弛緩状態にあります。 長懸垂の状態だと自分の体重以上の負荷があっても、大胸筋や広背筋も含めた肩関節周りの筋肉はどれも緊張しない(筋放電が無い)状態を続けるという論文報告もあります。 体操選手は長懸垂をマスターするのに、他人にしがみついてもらった状態でぶら下がる練習をします。 長懸垂でないと、自分を含めて100kg以上をぶら下げることはできません。

  長懸垂ができると、肩甲骨を支えている6つの筋肉全てが弛緩状態でぶら下がることができます。 6つのうちの大菱形筋・小菱形筋・小胸筋は引き延ばされますし、さらに大胸筋・広背筋に対してもストレッチ効果が得られますので、健康法の一つとしても良さそうです。 冒頭で、長懸垂はある程度トレーニングが必要だと述べましたが、そんなに難しい話でもありません。 ぶら下がったときに、自重で両肩が引き上げられるような感覚で、さらに両方の肩の間に頭を沈めるように意識して練習すれば、できるようになると思います。 上に示した肩甲骨の動きをイメージするのも良いでしょう。 完全にぶら下がるのではなく、足を付いた半懸垂で練習すれば肩に対する負担も無いと思います。
  但し、肩関節周辺の筋肉のストレッチ運動以上の効果は期待できません。 また一方で、ぶら下がりは牽引と同じで腰には悪いということを知っておいてください。 「腰痛と腰のくびれ」で述べたように腰椎には前湾があるのが正常な形であり、背骨を真っすぐにした方が良いなどというのはとんでもない話です。